『スピノザ 実践の哲学』 ジル・ドゥルーズ著 鈴木雅大訳

ドゥルーズの本は内容を解説できるものではないし、また解説することはドゥルーズの趣旨にも背くであろう。むしろ本書の第五章により触発されたことについてとりとめもなく書いておきたい。
長い間、私はスピノザの「属性」の考えがよく分からなかった。これについては属性論争があるぐらいだから、素人が理解できないのももっともであろう。『エチカ』の定義は次のとおりである。

定義四 属性とは、知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する。(『エチカ』畠中尚志訳)

ここで分からないのは「構成している」consticuensである。用例は他にもたくさんあるが主だったものをみると、「神の本質を構成する」(第1部定理20)「実体は人間の形相を構成しない」(第2部定理10)「人間の本質は神の属性のある様態的変状から構成されている」(同系)「人間精神を構成する観念」(第2部定理12)「神がこの精神の本質を構成する」(第3部定理1)
このように「構成」は主として神の本質か人間精神に関連して使用されており、身体については全く使用されていない。身体の場合は「組織する」である。

人間身体は本性を異にするきわめて多くの固体から「組織され」componitur(第3部定理17備考)

だが身体に「構成」から派生した語である「状態」が使われることもある。
身体の状態constitutio (第3部定理18)

そこで本書第五章だが、そこでは身体の構成関係について言及されている。
「各体はある特定の構成関係のもとに適合し」(本書205頁)
原文は手元にないが、ドゥルーズは別の本で「構成される諸関係」les rapports qui se composent(『スピノザと表現の問題』263頁)という用語を使用している。

こうしてみるとドゥルーズスピノザの「状態」consitutioを「構成される諸関係」les rapports qui se composentに読み換えていることが分かる。そしてドゥルーズのいう「構成」は「組織する」componiturから派生したcomposerである。
すると次に提起される疑問はスピノザにおいて「構成する」と「組織する」とは、どこがどう違うのかである。
私の推測では、連結関係を知性が捉えた場合が「構成する」であり、知性抜きの連結関係が「組織する」ではないかと思う。精神について論じているエチカ第2部において「構成」が頻出するのはそのためだろう。逆に感情や身体を論ずる第3部では「組織する」が使用され、精神や本質に関連してしか「構成」は使用されない。
スピノザの世界観では、私達が通常考えているような「神」も「人間」も「動物」も存在しない。あるのは固体(ドゥルーズ素粒子という)とその運動だけであり、「人間身体は、本性を異にするきわめて多くの固体-そのおののがまたきわめて複雑な組織の-から組織されている」(第2部要請1)のである。
これに類したことを物理学者のファインマンも言っていたが、問題は、そこからまた通常の人間概念に戻るか、それともそこを出発点として人間概念を変えてしまうかである。
これは本書第五章を読むと明快に説明されているのだが、スピノザのこの視点に立つと「人間」と「動物」を区別するものは形態でも器官でもないということになる。両者ともに同じ素粒子の集合だからである。
すると「人間」と「動物」を区別するものは、この常に外部に開かれた素粒子の集合が、他の集合との接触により、どのように素粒子の運動を変化させるか、その変化の仕方にしかないということになる。その個体の構成関係から素粒子が離脱していくこともあり、逆に吸収されることもある。吸収というのは合体ではない。食物の吸収でさえ、それは素粒子の複雑な関係の中に入るということであり、極小とはいえ何らかの距離がある。同様に人間関係も距離があるが、共通の関係に入ることもある。これらはすべて素粒子の運動変化の形状であり、個体を分類しうるのは、この変化しうる能力だけである。
ここでドゥルーズがねらいとしているのは、延長属性を抽象概念ではなく「共通概念」としてみるということである。抽象概念としての延長は幾何学的概念であり、文字通り多くのことを捨象しているのである。それは意識の眼前の物体からある特徴を抽出した表象にすぎない。共通概念としての延長とは、神・人間・動物・物体に適用される延長概念が、属性の一義性を持つということである。人間と動物の比較はその一例にすぎないのだが、共通概念としての延長概念は、素粒子の集合と運動の変化として全自然をみることにつながる。
スピノザの属性定義からすると同様のことが思惟属性についても成り立つはずだが、ドゥルーズは入門書的な性格を考慮して、共通概念として思惟について言及せず、イメージしやすい延長属性で共通概念を説明したのだと思う。
このことが、身体の状態constitutioを 「構成される諸関係」les rapports qui se composentに読み換えることに繋がったのではないかと思われる。
いずれにせよ、本書の収穫は、「属性」を共通概念の視点で捉えるということである。